「願いを叶えることをブロックしているもの」
こんなことありません?
ああなりたい こうなりたいと思って
「こすると叶う」と言われることやってみているのに
叶う時と叶わない時があるのはどうしてでしょう?
簡単なことや、小さなラッキーは叶うのに
肝心な願いは叶いにくい
このことを考える前に
少し、願っていた時の自分を取り巻いていた状況を
思い出してみましょう
その時
周囲の出来事に振り回され、引きずられている自分は
いませんでしたか?
置かれたシチュエーションに埋没していませんでしたか?
状況に対し、どんな気持ちでどんな反応してましたか?
”この会社の人間関係がいやだから 転職しよう”
”お金が無くて嫌だから お金がやって来るイメージを作ろう”
”一人でいることが寂しいから 彼女が欲しい”
これらの状態なら、残念ながら
「願いを手にした自分」にはなれません
なぜなら
”これ ~はこうあるべきなのに”という決めつけ批判と
内なる本当の自分を失い外側からの刺激に「感情と思考」
が興奮し主体としての自分がこれらに奪われているからです
そう!上の状態では本当のあなたは奪われいないので段階的に
やって来る宇宙(神)のサポートを受け取れないのです
宇宙(神)のサポートはあらゆる因果・繋がりを見通し
知っている視点から完璧に現象化させるために段階的に
やって来ます
でも、受け手のあなたが不在ならギフトも受け取れない
なので
「願いを手にした自分」に”憧れイメージだけ”の
思考優位の段階では宇宙(神)のサポートが無いので
何段階ものプロセスを自力で考えなければならず
”お金と時間が無いから手に入れなければできない”
”必要な能力が無いから勉強しなければできない”と
頭は忙しく走り回り、一生懸命に頑張ってみたものの
宇宙(神)は”まだ願いを運んできてくれない”
”答えてくれない”とだんだんストレスフルになっていきます
なので、ぜんぜん楽しくないのです
一方、「願いを手にした自分」をただ
”うふふ 叶っちゃうもん”という純粋に喜ぶ感覚は
願いは叶うことをすでに”知っている視点”に立っています
自分は願いを受け取るに値する存在で、宇宙がそれを
全面バックアップしてくれていることを知っている
ということです
誰とも比較することのないこころからの願いは
その望みを願った途端に”気持ちがいい感覚 喜び”
を感じます
そうではないエゴが創り出した願いは、ストレスを
感じたり焦りを感じたりします
この二つの感覚的違いを知ることで
「願いが叶う」のを妨げるブロックが自分の中に在るか
無いかを知るリトマス試験紙となりえます
願いを想ったとき 根拠なく喜べるなら
それが叶うときはもうそこまでやってきていると信じて
すかさず行動に移してくださいね