「止まる から 止めるへ」
マツモトタケシさんのブログ「休止符」に触発されて書いてます。
新宿のとある居酒屋さんで“567円 コロナ?”で打ち出したら満席になっていたり…
自粛要請疲れでストレスが溜まったのか我慢できなくなって大挙してイベントへ足を向けたり…
でも、世界に目を向けると大切な愛する隣人を守るために自らを隔離している人たちの話を沢山見かけるようになりました。
ストレスが溜まるとどうしても発散したくなりますし、経済を回すためには出かけて行って消費することも大事です。
でも、すべてをネット購買や料理宅配で賄えても心までが満たされるわけではありませんからね。
すでに、みなさんはご存知のはずです。
◇外出の頻度を上げることはリスクも上がること。
◇眼には見えないリスクなので予防的に3つの密「密閉・密集・密室」は避けること。
それでも「これぐらいなら~ 自分は大丈夫~ 周りには患者でてないから~」
とね。(これを正常性バイアスと言います)
“新型コロナウイルス COVID-19”
これがもたらした本当のものは、
人間の内側にある「臆病さと鈍感さからくるエゴ、そして、恐れからくる差別」を“ほらぁ~~!あるよ~~!”と
表に引きずりだしたことではないでしょうか。
いままで、時代のスピードに全力でついていくこと、物質の豊かさ、早い、簡単、便利さが最もいいこと!となっていた世界。
これをコロナウイルスがそのスピードを強制的に止める働きをすることになったと思います。
しかし、本当に理解することは”止められた”ではなく、自らの意思で”止まる”こと。
内側からの強い衝動をちょっと止めてみて もう一度問い直してみる。
「本当にいいのか?」と。
湧き上がるエネルギーを自制する力とため込んだエネルギーを昇華させる力を蓄えないと、
今後ストレスはたまり続けるし、
何より他者から強制的に不自由な環境を強いられることにもつながり得ないと思います。
今のように便利な道具がなかった時代は、体力的な苦労も移動の制限も楽しみさえも限られていたと思います。
全てを捨てるべきとは微塵も思いませんし、
無かった時代へは戻れないと思います。
どこでバランスを取るか?だけだと。
これは、これから手探りで掴む課題だと思います。
夜は夜としてあり、一人になる時間も、自分のスピードもあって、どんなに遠回りのように思えても内側を豊かにできるはず。
スローテンポは自分の内側を強くするチャンスだと思います。
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休止符