「不安」と「違和感」の違いって判りますか?
「不安」と「違和感」は混同しやすいけど違うものです。
しかも混同することで未来が大きく違ってしまいます。
というといかがでしょうか。
「不安」というものはそれ自体単体で“ある”ものではなくて、原因と結果の関係を実体験や親、周りの人が体験したことを言葉やイメージとして共有することでインプット。
過去の記憶を基に生み出した概念を感情で表現したエネルギーのことです。
なので、この仕組みに氣づかない限り、絶えず“本来の可能性”にストップをかけ創造のエネルギーを削り続けることになります。
では、「違和感」はというと“本来の自分でないもの”という“直感”そのものです。
つまり、自分にとって必要がないものを教えてくれています。
― ここが、ポイントです。
直観に従ったと思った行動が、実は不安から逃れるためだった。となるとどうでしょう。
自分が創る未来は大きく変わってしまいますよね。
では、どうすればこの二つを見分けられるようになるのでしょうか。
それは、目の前の世界から刺激を強く受けてしまう“思考”と“感情”をできるだけ静かにさせることです。
なぜなら、出来事は本来“中立”で起きているだけなのですが出来事に対して自分が得をするか損するか?うれしいか嬉しくないか?という関わりを殆ど瞬間的に判断して、さらに過去の記憶と結びつけて膨張させてしまうからです。
とは言っても難しそう。悟ったお坊さんや聖者のように修行しないと~無理~。って感じありますよね。
なので、この動画をご紹介します。
― スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー師が提唱されている手動瞑想。
プラユキ・ナラテボー師 手動瞑想
https://www.dananet.jp/?p=6263
簡単な動きを覚えるだけで大丈夫。
いつでもできます。
― プラユキ・ナラテボー師の解説に「なるほど!」と思った点があります。
それは、
- 目を開けて行う。それは、“いま、ここ”に居続けるため。
目を閉じて行うと開けたときに見えた世界とにギャップを感じるからというもの。
- 雑念を払おうとはしない。雑念が湧いてきたと気が付いたらただ自分の手に戻る。
しかし、手に集中するわけでも無い。
意識はあるけれど、思考・感情は静か。
これが、ゼロポイントに近い状態ではないでしょうか。
この状態から外の世界を観ていればそこには「不安」ではなく「直観」に支えられた世界がやってきます。
そして、自分が一番安らげている幸せな時間がやってきます。
★プラユキ・ナラテボー師のプロフィール
1962年、埼玉県生まれ 上智大学哲学科卒
タイ・スカトー寺副住職。
大学在学中よりボランティアやNGO活動に深く関わる。
大学卒業後、タイのチュラロンコン大学大学院に留学し、
農村開発におけるタイ僧侶の役割を研究。
1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとにて出家。
以後、自身の修行のかたわら、村人のために物心両面の幸せをめざす開発僧として活動。
またブッダの教えをベースにした心理療法的アプローチにも取り組み、
医師や看護師、理学療養士など医療従事者のためのリトリート(瞑想合宿)が
スカトー寺で定期的に開催されている。
― タイの日本人僧侶プラユキ師の公式サポートブログより転記させていただきました。