身体の反応と意識のことで、
解りやすい体験をさせていただきました。
遠隔でサポートさせていただいている方なのですが、この方は若いころから難しい病と共生されています。
要は、決め手の薬も治療方法も確立されていないということです。
いろいろと実生活に”困ったな”はあるのですが、それでも自分が置かれている状況を認め、限られた条件、日々変化する体の状態に対応しながら社会人として ご自身を生きられています。
遠隔ですので、直接ボディーに働きかけることはできません。
しかし、私たちは”意図する”ことと”言葉”というツールを使って相互にコンタクトすることができます。
もちろん テレパシーが使えるわけでは無いので(使えたらいいなぁ・・ ?でも呼び出しコールはほしいなぁ いきなりはちょっと・・・)電話という文明の利器のお世話になってます。
意識や意図、祈りのように”想う”エネルギーは、時間も距離も場所も選びません。
影も形もありませんから、触ることも計測することもできません。
それでも、互いに影響を与えることができる”モノ”なのです。
昨今、アメリカの研究でも”祈り”の癒しの力を実験された報告があったようですね。
話を戻しますが、
「解りやすい体験」
ということでしたね。
どんな体験かというと、
チャクラのクリーニングを遠隔でしていた時のことです。
呼吸がポイントにもなるのでやり方をお伝えしたのですが、
”吸うことはできるのですが、がんばると吐けないのです”
ということでした。
私からしてみれば”え???”でした。
普通に呼吸できてますよね?
大きく吸って 止めれば 嫌でも吐けますよ~。
でも、頑張るとかえって吐けなくなるんです~・・。
違ったんです。
理由は、小さいころのスイミングでの体験。
どこかの時点で、
「吐くと次に吸うことが難しくなる 水を飲むかも 苦しくなる だから 吐くことが怖い・・・吐けない・・・」
隠れトラウマが顔を見せてくれました。
遠隔しているのは、昔でなくて今だし、住み慣れた部屋だし、ベッドの上だし、決して水の中ではないにも関わらずです。
囚われた過去の記憶の断片が、今の身体さえも支配している。
本人も過去の囚われ、体の反応とは理解しているのですが、刷り込まれたデータは頭の理解とは違うモードで自分を縛ってしまうのです。
この仕組みは、脳の勘違い記憶だけに留まるものではないです。
全身の骨・筋肉・細胞レベル・エネルギー体レベルのいろいろな部分、層にデータとして蓄積されるようになっています。
それだけ人は、豊かな創りになっているのです。
丁寧にいろいろな部分、層を肉体を通してさらにその奥にある感情やイメージにそっと寄り添うように注意をむけたとき、解放を待っているものに気づけます。
この方も、解放を待っていたモノと出会い、その存在を認めたとき呼吸にも変化が起きてきました。
状況に捕らわれず、結果を焦らず、でも起きてくることへ信頼をおき、そして時間に委ねる。
私たちの魂の聖なる叡智は、常に最善を送り届けてくれています。