このページを読んでくださっている出会いに感謝して、
自己紹介をさせていただきたいと思います。
少し長くなりますが、よろしければお付き合いくださいませ…。
1957年。九州生まれ。
生後1週間の内に2度死線を超え生き延びた。(この経験も必要だったんでしょう、未だに意味わかりませんが…)
家業跡継ぎの立場から両親・祖父母の期待に沿うことを求められる。
小・中学生時代、敷かれたレールに疑問をもちながも、
認められたくてがんばって良い子を過ごす。
高校に進学後、中途半端な自分がずっと嫌で鬱々(うつうつ)とし挫折を味わう。
目的を見失なって心に穴が空いた状態で何事にもやる気をなくす。
(高校生時代の記憶があまりない)
そこで、大学受験を控えたある日、
自分の中にある
「本当の自分はどうしたい?」
という思いが爆発。
「なんかやらなきゃ」と
敷かれたレールを外れることを決意し暴挙にでる。
親の希望とは真反対の大学へ進学、遊ぶ味を覚える。(笑)
卒業後、親との約束を破り家を飛び出し何の考えもなく京都で就職。
その後、声をかけられ中古貴金属・ブランド品販売会社へ転職。
ゼロからの部門立ち上げを任され、8年間で10億円規模の部門へ牽引する。
願っていた高収入を手に入れたが、見返りに
こころも身体も完全崩壊。
ベッドから出ることも出来なくなる。
うつとなり家族との関係にも微妙なひびが入る。
現場に立てなくなり解雇、収入は0円となる。
みじめな自分を責める日々が続くだけで気力がでなく悶々と1年半を過ごす。
それでも、
現実は、”待ったなし”
(通帳を見るたびに奈落の底に落ちる心境 悪夢)
家族をかかえ稼ぐことが”絶対死命”となる。
時代は、まだまだ心療内科は一般的ではなく、精神科が主流だったために病院にかかることが怖く、薬も飲まず手探りながら代替療法で治すことを模索。
クレニオセイクラル、鍼灸、整体、気功を受けてもどれも一時的でアップダウンを繰り返し、さらに落ち込む。
そんなもがきの中、偶然
スピリチュアルヒーリング(クリスタルヒーリング)
の素晴らしいヒーラーさんと出会い、やっと扉の向こうが見え始める。
そこで、
「自分を真に幸せに出来るのは、自分しかいない!どんな小さな変化でもまず一歩を踏み出せ」を痛感し、
スピリチュアルとは「今この瞬間に肉体と人生を統合する」ことと実感する。
ずっとこころの片隅で響いていた”自由な自分を生きたい! 本当の自分を生きたい!”を
今度こそはやると決めサラリーマンを選ばず自営業を選択する。
100%手探りでまったく自信もなく、コネもなく、右も左もわからない状態だったので、資金も必要とせず、
少しでも慣れた仕事ならばこころにも身体にもハードルは低いはずと、切り口をパワーストーン販売としネット販売を始める。
クリスタルヒーリングを学んだことでエネルギーに敏感となり
その後、野上式整体、エネルギーワーク、レイキなどを学ぶ。
自らの潜在能力を解放し、高める方法を求め、熊野の仙人、クンルンネイゴンマスターなどに師事。
「魂レベルのシナリオが肉体レベルのシナリオと統合された瞬間、人生レベルでの大枠シナリオが創られる事」を知る。
肉体レベルで受け取った言葉や視覚、聴覚、嗅覚、皮膚からの刺激は、
出来事と結びつけた記憶となり内側に蓄積され”〇〇は、△△だ”となり、
体験を繰り返すことで思い込みを強くし、判断基準にしてしまう。
このことで無意識に自己価値の限界を決め、能力や可能性をしぼめさせてしまう。
肉体的にも深いところで硬直し、エネルギーの流れが悪くなり
様々な身体トラブルの元として出現させる。
なので、”身体だけ”でも”こころだけ”でも”考え方だけ”でも望む自分への変化は進まず
同時にアプローチしていくことが”鍵”となる。
潜在能力と無意識シナリオの解放のために16年かけて
「ハート・ボディ・マインド」へのオリジナルアプローチを構築する。
京都を主に大阪、名古屋で「生き辛さの解放と自己実現」の結果に信頼を得て活動中。
最後までお読みいただきありがとうございます。